八ヶ岳山麓の阿弥陀岳の麓「美濃戸minoto」での日常生活
by oikuri
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命の道

2015/02/02(月) (旧暦)師走14日

 節分はあす、そのあとは立春と冬も終わりの八つとなりますでしょうか?

 あなたの命を私が代わりに生きることが出来ないように、私の命を他の誰も代わりに生きることができない。命は個々の一人一人に備わり一匹一匹の動物一本一本の木々に備わって他が代わることのできない大切なものです。この大切な命を粗末にすることは、命の道に反することになります。

 道からの命は、
 水と同じように
 誰のなかにもあり、
 すべてのものを生かす力だ。
 だから善人はこれを宝とし、
 悪人も大切にする。
 世の善人ばかりか
 悪人だって
 これだけは捨てないのだよ。
 ひとに祝われる善人がいい車に乗ってゆくがね、
 貧しいダメ人間だって
 道パワーとともに
 坐っていられるのだ。

 いったいなぜ、昔から
 この道が貴ばれるのか
 知っているかね?
 幸運を求めて得た者も
 失敗して罪を犯した者も
 受け入れるからさ。
 だから貴ばれるのさ。

 加島祥造 「老子」新訳(地湧社) 第62章「すべてのものを生かす力」より


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       2015-01-18 の御嶽山(八つからの遠望)

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# by oikuri | 2015-02-02 22:01 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

禍のもと

2015/01/28(水)  (旧暦)師走09日

 小雪がちらつきぐんと冷えてきた八つの夜です。

 欲しがり、さらに取ろうとすることほど
 罪なことはない
 足ることを知らないのが
 すべての禍の元なのだ、
 ひとたび足ることを知れば
 それが中心となる。

 加島祥造・・・「老子」新訳 第46章(地湧社)より・・・抜粋


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 八ヶ岳の登山口の一つ美濃戸口にある「八ヶ岳山荘の夜景」

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# by oikuri | 2015-01-28 20:30 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

徳の道

2015/01/25(日)  (旧暦)師走06日

 好天の冬晴れに雪も溶けだす八つの午後です。

 老子はその昔、函谷関の役人に請われて通称「道徳経」とゆわれる文章を書き残したとゆう。今現在では「道経」が頭にきて38章から「徳経」とされていますが、古いお墓から出てきたものは、どうも「徳経」が先で「道経」が後の構成になっているとのこと。どっかの時点で後先がぎゃくになってしまったようなのですね。
 だいたい老子につまづいた人たちの言をきくとしょっぱなの「道は道と言ってもいわゆる道とはちがうんだ」なあんて突然でてくるでだしにつまずいてすっころんでたちあがれなくなったとゆう方が多いようなんですね。
 幸いとゆうか偶然とゆうか当方は漢語に疎いため、出だしにつまづくこともなく日本語で老子に接してきておりますが、それでもこの出だしは唐突な感じがしておりましたですよ。
 古いお墓から出てきたとゆう文章は「徳経」が先で「道経」が後の構成だとゆうので調べると、古い文章構成の方がやはり導入としては「入りやすく」できてるように思います。「徳経」の出だしの章は「真の徳とは」・・・ではじまります。
 
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 「徳」とゆうのは「良い行い」とか「善行」とかゆうんではなく、争うこころを鎮めよくを慎み自然を敬い心優しく生きるひとから「道」が自然に湧き上がってその人の表面に現れてくるくるものをゆうんで、ほんとに「道」の生き方をしている人に自ずから備わるものなんだから、備わっている本人はちっとも「徳」があるなんて意識しないで生活してるんだよとゆう。
 だから「道」の生き方をしていないひとたちが、道徳だ仁だ義だ礼だとうるさくふれ歩くのであって、ほんとに「徳」のあるひとは、そんなよぶんなこともせずに静かに黙って生活を愉しんでいるんだよとゆう。
 こうゆわれると、じゃあ「道」っていったい何なんだ?・・・とゆうことになると思うんですよね。で、後に「道経」があるとゆうふうになるのが自然だと当方は思うんですが、その道に詳しい方のご意見を伺いたいものです。


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# by oikuri | 2015-01-25 17:33 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

あまりよくばらないで

2015/01/20(火) (旧暦)師走01日大寒

 一面の銀世界に太陽が輝き鹿が樹を食む八つの朝です。

 人間にそなわるとゆう性質で一番厄介なものがこれ「よく」ですかね。
 だから「よく」をなくせ!なあんてゆっても無くならないことはあまりにも明らかなので、そんなむりなことはゆわないからね「あまりよくばらないで」ほしいもんだと老子はゆう。そう「足るを知る」なあんてゆう表現も使っておりますですね。よのなかよくで満ち溢れているものですからね、なにをいまさらそんな寝惚けたことをとバカにされるのがおちのきょうこのごろなのではありますが、でもやっぱりみんなが「あまりよくばらないで」生きることがいまとても大事な時期にあるんだとおもうんですが、みなさまいかがおおもいになられますでしょうか?
 おかねは「いくらあってもよい」とゆうのがこうじると「自分のかねは自分のもの、他人のかねも自分のもの」にしたくなるのがこのよのなかの常。そうなるとよのなか「争い」ごとの絶えない今のよのなかのようになってしまい、このためにはひとが死のうが困ろうが知ったことではないとゆう生きかたが横行するはめになる。だから「よく」と「争い」は兄弟姉妹のようになかよしなんですね。
 争いをなくすには「よく」をなくす必要があるとしても、人間の「よく」をなくすことは出来ない相談となれば、老子のゆうように「あまりよくばらないで」生きようよとゆう提案は、とても現実的な提案かもしれませんですよ。とてもむつかしい提案ではありますが・・・

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# by oikuri | 2015-01-20 10:45 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

争わない

2015/01/16(金) (旧暦)霜月26日

 きのうは湿った雪が10cmほど降り、一転今日は快晴で暖かな一日の八つでした。久しぶりにもみの湯につかってからだの方も芯からあたためてまいりましたです。ここに居る特典のひとつですね。

 中国の春秋戦国時代はゆうに及ばず現代までをみても、人類の歴史は、争いの歴史そのもの、つくずく人間て争うのが好きな動物のようにみえますが・・・ 2500年前の春秋戦国の世に生まれたとゆう老子は、争うことはもうやめようではないかと口酸っぱく何度も何度も呼びかけてこの世を去って行ったようです。でも、ほとんどの人たちは、そんな老子のことばに耳を傾けることなく、争いに明け暮れて今日に至っているとゆうわけです。
 もういいかげんに争うことをやめないと、人類そのものの存在が危ういとゆう時代に立ち至ってしまいましたね。人類がほんとうに生き延びたいのなら、老子の「争わないで生きよう」とゆう呼びかけに真摯に耳を傾けて、みんなの生き方を「争わない」方向に変えないとまずいですよ。21世紀は「争わない」時代にできるかどうかが、人類の生死の分かれ目になる厳しい現実に直面しているのですが。・・・ まずは、私のそしてあなたの心のなかから「争うこころ」をすこしずつでも無くしてゆくのが、その第一歩ですかね。

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# by oikuri | 2015-01-16 23:18 | 八つだより | Trackback | Comments(0)