人気ブログランキング |

八ヶ岳山麓の阿弥陀岳の麓「美濃戸minoto」での日常生活
by oikuri
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31


<   2019年 07月 ( 7 )   > この月の画像一覧

自由(jiyuu)

2019/07/25(木)    (旧暦)水無月23日


d0116207_10501251.jpg

 むらぐものむこうに輝く太陽、梅雨明けにはもう一息か?
 そうゆえば、アフリカ・インド・中国・台湾と広がっていた「ツマジロクサヨトウ」がついに鹿児島に上陸との報が・・・。
 「ツマジロクサヨトウ」については、聞きなれない言葉ですが、南米からアフリカにわたりトウモロコシやジャガイモを食い荒らし猛威をふるっている「夜盗虫」の新種です。卵から成虫・産卵まで三十日しかかからず、成虫の蛾は1000個から2000個の卵を産み、100キロ以上を移動可能とゆう繁殖力旺盛で、天敵もその数に及ばず「食糧の殺し屋」とゆわれているほどの夜盗虫です。鹿児島に上陸したら日本全国に蔓延するのは「あっとゆう間」です。
 畑をやっているみなさん「要注意」ですぞ。




d0116207_10502614.jpg
カラスも心配そうにしております。





d0116207_10503460.jpg
南八ヶ岳







d0116207_10505067.jpg
7/24の田んぼ

  人間にとって大切なコト、それは「自由」です。

 日本国憲法がすぐれた憲法だと思うのは「自由」を犯してはならない基本的人権と認定しているだけではなく、自由を妨げるもっとも大きな障害である「戦争」を放棄した点にあるのです。世界を眺めれば「戦争」をするのを当たり前のようにした国々が大半を占めておりますから、そんな中で「戦争の放棄」をすることが現実を無視した絵空ごとだと非難されるのは容易に分かるところです。
 ですが、本当に基本的人権としての「自由」を尊重するのであれば、その「自由を問答無用に蹂躙する、戦争を放棄するとゆう」結論に至るのは「理の当然」の結果なのです。ですから、本当に「自由」を基本に考えれば、「戦争」はできないはずです。

 戦時中「欲しがりません勝つまでは」とゆう標語のもとに個人の自由が抑圧されたことを知っている方も多いかと思います。そうでなくとも戦時下「自由」を口にすれば「非国民」だの「人非人」と指弾され、あげくは愛国心のない「敵国のスパイだ」と罪人扱いされる有様でしたよね。当然、思想の自由も政治の自由も言論の自由も宗教の自由もありとあらゆる「自由」が蹂躙され続けたのです。だから、ほんとうに自由が大切ならば、「戦争は放棄する」以外にないのです。
 そう言った意味で、日本国憲法は時代を先取りした、優れた憲法なのです。

 「自由」のないところに、未来はありません。


d0116207_10505387.jpg
7/24の田んぼ



  1989年からアフガニスタンで医療支援活動を開始した中村哲さんは、いまや干ばつに苦しむ現地の人たちとともに水路を切り拓き農業の再興に尽力をそそいでいる、当方が偉い日本人とおもう数少ない人です。その彼が、つぎのようにゆうことに「傾聴」するときが今だと思います。

 中村(ペシャワール会応援@相互フォロー のツイッターからの引用

 そうなんですよ。ほんとうにそうなんです。僕は憲法9条なんて、特に意識したことはなかった。でもね、向こうに行って、9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる、これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。体で感じた想いですよ。
 武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。
 9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。
 具体的に、リアルに、何よりも物理的に、僕らを守ってくれているものを、なんで手放す必要があるんでしょうか。危険だと言われる地域で活動していると、その9条のありがたさをつくづく感じるんです。






by oikuri | 2019-07-25 10:52 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

みえないものは『ない』のか?

2019/07/21(日)    (旧暦)水無月19日

d0116207_21541437.jpg
木曽の御嶽山


 目に見えないものは「ない」・「存在しない」とゆうのは、人間の感覚的認識による判断にありがちな結論です。目に見えなくても、実際に感電したりテレビが映像を流したりすれば「ない」と思っていたものでも「ある」とゆう認識に判断をかえるのが人間です。つまり体験することで「ない」ものが「ある」ことになるんですよね。
 神なんかも「目に見えないもの」ですから、感覚的に判断すれば「神などはない」・「存在しない」とゆう結論になります。でも、宗教的な体験をすることで「神はいる」・「神は存在する」とゆう認識に判断を変える人々が生じることになります。
 原発などで扱う放射性物質が出す「γ線・β線・α線」なども目に見えないので、感覚的には「ない」ように見てしまいます。体験的に「レントゲン」などで放射線のようなものがあるんだなあっと思えば、見えないけど「あるんじゃないかなあ」なんてすこしは思うでしょう。でもね、放射線があると「危険だ」と思うと、逆に「めにみえないから・ない」とゆう感覚的な実感に寄りかかって「ないと思った方が気楽」だよねとゆう悪魔のささやきに身を委ねて「危険」を回避できたことにしたい人間のこころの平衡感覚も実際に「ある」んですね。このへんが人間のやっかいなところです。
 2011年3月11日の大地震で爆発・炎上した福島の原発は、爆発・炎上した当時から今まで、人間の手が出せない状態が続いております。かといって8年間の間に、この過ちを冷静に分析し今後に生かすような状況認識が得られたかと思いきや、「そんな事故はもう終息して・ない」んじゃとゆう雰囲気が蔓延するような努力が日夜傾けられていて、いつまでもこんなことにかかづらうような人間が「白い目でみられる」状況を形成する原発村の方々の欲の深さに、ぼうぜんとする今日この頃です。
 みえないものによって、日本の人口は確実に減少しております。そしてガン患者も確実に増加しており、一人がいくつものガンにかかって手術を受けております。めにみえないものは、ほんと、おそろしいものなんですよ。

 




d0116207_21543732.jpg
北アルプス


 近々、エクシードkazuさんが友達とこの「北アルプス」を縦走することになるようです。天気に恵まれますように!










by oikuri | 2019-07-21 21:55 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

喜寿(kijyu)

2019/07/15(月)    (旧暦)水無月13日

d0116207_22084160.jpg
あずさ

 7/13(土)にすずらんの里駅から江戸に向かい出立。
翌日7/14(日)にこどもたちから「喜寿」のお祝いをしてもらいましたですよ。
満で当方が77歳、つれあいが数えで77歳です。
 念のため・・・すずらんの里駅には各駅停車しか停車しません。特急「あずさ」は通過して過ぎ去ります。上の写真は、その通過時の一コマです。



d0116207_22084773.jpg
焼き肉/会食

 ひさしぶりに焼肉をおなかいっぱい食べ、いろんな話やイベントを楽しんで、7/15今日、帰ってまいりました。まごもおおきくなり、長女もかれしをみなに紹介、たのしいお祝い会になり、感謝を胸に帰途につきましたです。みんな、おおきく成長した姿をみて、自分たちが歳をかさねたことをあらてめて実感した一日でした(感謝)。










by oikuri | 2019-07-15 22:24 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

つゆの晴れ間

2019/07/10(水)    (旧暦)水無月08日



d0116207_18551717.jpg
ひまわり


 きょうは「つゆの晴れ間」、さすがに晴れると暑いですね。でもひさしぶいりに仰ぐ藍空は、気持ちが良いもんです。ひまわりも、うれしそうに太陽をながめております。畑の作物は、このところの低温続きで、生育がいまいち、この夏も野菜が「高騰」しそうな雰囲気になりつつありますですよ。家庭菜園で、防衛できるかたは対策を練った方がいいかもよ。



d0116207_18542976.jpg






d0116207_18545060.jpg
おだまき


 このごろつくづく思うのは、本来の意味を逆さまにした「ことば」がとても沢山よのなかで飛び交うようになったなあっとゆうこと。
 「働き方」なあんてことは、個人が自由に考え行動し、勝手に試行錯誤をしてつかむものですよね。それを、個人が自由に行動・思考できる労働環境を「破壊」してしまい労働者の権利を剥奪し「労働基準法」を有名無実化した上で、企業や政府の側から「働き方改革」などとゆう個人の自由をないがしろにする自分たちに都合の良い規制を、あたかも当然の権利のように「ことば」にする事態は、ほんと異常な現象なのです。政府や企業が、ひとの「心の中に」手を突っ込んでくる、この異常事態を「異常」と感じなくなったのでしょうかね、あまり当方の耳には問題視する意見が届いておりませんですよ。
 「義務教育」なんかもね、誰が義務を負うのか「意味不明」なのがいまげんざいですよね。「国家公務員」て誰のことか日本国憲法に明記(第15条)されておるのに、なんとか法とゆう日本国憲法を無視した法律で「国民から選ばれもしないで」国家公務員を自称する「シロアリ集団」が、いまや日本の「貴族」と化してる有様をみてもわかるでしょっ。まあ、権力者のおうぼうをしばる「日本国憲法」が、しらぬまに「こくみんをしばる」憲法にされてしまった感が強いきょうこのごろですからね、「異常」が「正常」になってしまった「逆さまの世の中」でもふしぎはないのかも・・・。






by oikuri | 2019-07-10 19:46 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

野原

2019/07/09(火)    (旧暦)水無月07日

d0116207_12492674.jpg
ヤマボウシ





d0116207_12492095.jpg
ヤマボウシ


 日本の中から「野原」がなくなってゆく。
 野原みたいなところも、結局管理された広場だったりしてがっかりする。
 ようするにこの日本から「余裕」とゆうものが失われてしまったとゆうことか?

 野原とゆえば、こんどおきなわのそうかがっかいの「野原よしまさ」とゆう方が参議院選挙の東京地区で立候補しましたね。これってかなり
かっきてきなことです。公明党代表の「山口なつお」に対抗してのりっこうほですからね、そうかがっかいいんのひょうがどのようにうごくのか、ひとつの社会実験みたいなところがありますですよ。オセロが「森が動く」現象におびえふるえる立場に「なっちゃん」がなるのかが、見所です。つまらないせんきょがすこしでもおもしろくなることは、とてもよいことです。
 それにしても、おきなわのひとは、ゆうきがありますですね。









by oikuri | 2019-07-09 13:18 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

たなばた?

2019/07/07(日)    (旧暦)水無月05日

d0116207_22433171.jpg
農道


 たなばた?で天気がどうのこうのとゆう声がきこえてきますがね、まだ水無月(六月)なのに何言ってんだろうとおもうんですが、そうおもう当方の方がどうかしてるとおもわれる世の中になってるみたいですね、へんなよのなか・・・。

 いま、今年の一月に亡くなられた橋本治(Hashimoto Osamu)の本を読んでおります。「失われた近代を求めて 上・下」とゆう本で 2019/06/25第1刷 原村の図書館の「新刊本コーナー」に置いてあったので借りてきましたですよ。
 これが結構面白い。
 なにが面白いかとゆうと、いまの高校生などが教わる日本文学の歴史を根底からひっくり返す「内容」がてんこ盛りのうえに、名前だけ知っていた田山花袋の「蒲団」だとか二葉亭四迷の「浮雲」とかの中身の具体的な解説が満載、その上でその捉え方・考え方が面白い。島村抱月氏の解釈のいいかげんさなんかも白日のもとにさらされてしまう、みごとな筆さばきには感心します。ああ、一月に死んでしまうなんて、惜しい人を失ったと思いながら読んでます。上下2巻の結構読みでのある力作です。

 まあ、日本文学の歴史も相当いいかげんですがね、日本の歴史もまたすばらしくいいかげんなものですからね、できたらそんなものは覚えない方が良いと思います。特に邪馬台国とか卑弥呼とかはでたらめでひどいものです。でもね、日本の学会は自分たちに都合の悪い「真実」は徹底的に無視する戦略をとっておきておりますからね、馬の耳に念仏、正しい批判は無視されるか、袋叩きにされるのがオチで、ゆっても全くいみがありません。かれらはきとくけんをぜったいにはなしませんからね、橋本治は学会からは「無視」されることを請け合います。でもほんと良い本です。



by oikuri | 2019-07-07 23:26 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

ゴボウ(牛蒡)の木

2019/07/02(火)    (旧暦)皐月30日


d0116207_12100098.jpg

 梅雨も本番。
 そんな中、ひとり目立つのが畑の「牛蒡」ゴボウです。
 もう、当方の背丈をこえて、まるで木のようにみえます。
 なづけて「ゴボウの木」です。




d0116207_12100735.jpg

  今年は「二本」立てみたいですね。
 人間も一緒ですが、あまり手をかけずほったらかしにして勝手に育ったほうが、元気でたくましくのびのびと大きくなるようです。
 もう少しすると花が満開になり、それが実ると、小さい「ウニ」雲丹のような形をした実が沢山付きます。
 それが衣服につくと、どうやっても「離れないぞっ」と言う感じではがれません。そんなこんだで、仲間の山荘の玄関先に「ゴボウ」が芽を出し大きな葉をひろげることになりますですよ。今日の教訓「ごぼうあなどるべからず」。




d0116207_12101146.jpg
ゴボウの木










by oikuri | 2019-07-02 12:10 | 八つだより | Trackback | Comments(0)