八ヶ岳山麓の阿弥陀岳の麓「美濃戸minoto」での日常生活
by oikuri
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つながり 08

2018/09/27(木)    (旧暦)葉月18日


 きょう(9/27)は、2014年9月27日に木曽の御嶽山が噴火して60名以上の死者・行方不明者をだして四年目です。
 この噴火のちょうど一年前に当方はこの御嶽山の頂上から、小さな噴煙の上がる火口周辺の写真を撮っておりましたですよ。あの噴火をみて、まさに他人事には思えませんでしたね。
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 これが噴火前の御嶽山の頂上の風景です。
 自然の力のすごさを、いまさらながら感じております。

 下の写真は、噴火のあった時期の一年前にみていた御嶽山の紅葉です。噴火の直前もこのようなすばらしい紅葉があったのです。でも今は火山灰の下に埋もれて四年です。


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 尺八との「つながり」を考えるときにはずせないのが、前川耕月さんです。
 前川耕月さんは、現在、明暗蒼龍会の会長をなさっておられます。


 明暗蒼龍会・本部  〒215-0018
 神奈川県川崎市麻生区王禅寺東2-29-1
 前川 耕月
 e-mail maekawacougetu@jcom.home.ne.jp


 当方が50歳を過ぎた頃から歯槽膿漏がはげしくなり、入れ歯のおせわになる身になり、だんだん歯が抜けると尺八も吹きにくくなっておりました。一番困ったのが「前歯」が抜け出した時です、完全に尺八が吹けなくなりましたですよ。そして、ついには総入れ歯となり、それでも好きな尺八を吹こうとしましたが、吹けば入れ歯が浮き上がってきて数分も続けられないようになってしまいましたです。それでも、歯医者を選んでは少しでも吹けるような入れ歯を創ってもらおうと、努力を続けておりました。ここ八ヶ岳の麓に山荘を建ててからも、すきな尺八はやめられません。いろんな詰めものやらを試しましたが全部ダメで、諦めかかったころ、ブログで前川耕月さんと「つながり」が出来たのです。
 前川耕月さんが勧める「地無し尺八の奏法」の解説を読んでいたら「舌を前歯の上に乗せて下唇の裏を押す」とゆう表現に出会って「これだっ!」と想いましたね。これが出来れば「下の入れ歯が浮き上がるのを抑えることができる」と直感したのです。ところがどうしてやってみると、なかなかどうして身につきません。今までの吹き方と全然違う吹き方なんですからね「音が出なくてあたりまえ」とゆう状態が続きましたですよ。しばらくしてかすかに音が出るようになったのですが、なかなか思うように吹けません。前川耕月さんの解説を印刷してなんども読み返すうちに「地無し尺八」でないと普通の「地有り尺八」ではなかなかこの吹き方を習得するのは困難だとゆう点にたどり着き、意を決して、見も知らぬ身もかえりみず、前川耕月さんに「地無し尺八が欲しい」とメールを出したのです。
 そしたらA4の大型封筒に
、その著作や岡本竹外著の「尺八随想集」や前川耕月氏演奏のCDまで同封して贈ってくれたのです。この厚意に報いなければいけないとその後一層の努力を重ねたところ、ようやくにこのところで少しずつ尺八らしい音がなるようになってまいりました。本当に前川耕月さんには、感謝しかありません。

  「
」 

 地無し尺八も、その後、栃木で「常春」銘のすばらしい地無し延べ管を制作されている方に偶然に遭遇、すでに数本を頂戴し吹かせていただいております。これも尺八がもたらした貴重な「つながり」です。



by oikuri | 2018-09-27 19:30 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

つながり 07

2018/09/22(土)    (旧暦)葉月13日


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きょうの「パッションフルーツ」



 雨があがったので畑に出かける。三つ目の「パッションフルーツ」をみると良い色でツルに下がっております。写真を撮ろうとして周りの葉を少し移動したところパッションフルーツの実がポトンと落ちましたですよ。上の写真の一番右の実がそれです。今年の完熟「パッションフルーツ」が三役揃い踏みとゆった感じです。


 当方が尺八をはじめてからしばらくして、昭和三十年に亡くなった初代青木鈴慕のあとをついで青木静夫が昭和五十(
1975)年に二代目青木鈴慕を襲名披露。このあと尺八三本会等々の活動があって一つの尺八の隆盛期を迎えることになります。青木鈴慕・横山勝也・山本邦山とか山口五郎に村岡実・宮田耕八郎とゆう方々が活発に演奏活動を行う時期でしたね。この時期、納富治彦氏が若くして亡くなりました、ほんとこれからとゆう方でしたからね残念です。
 この隆盛をささえたのが大学のクラブ活動でしたね。その頃のことをよく知っている方が「邦星堂和楽器店ブログ」を書いておられる大橋鯛山です。


 このブログの古い記事を読めば、この隆盛期にどんなことが行われていたか良くわかります。ちょと根気がいりますが・・・。 
 尺八が虚無僧に独占されていた江戸期が終わり、明治期に入り「尺八」禁止が実施されます。その禁止をくぐりぬけなんとか一般人が尺八を吹けるようにした明治期の方々の努力があっての昭和40・50年代の隆盛期があったのです。そしてこの頃から家元制や流派にこだわらない交流や演奏活動ならびに作曲がはじまり、譜面も五線譜でも演奏できるようになってゆき、武満徹の「ノベンバー・ステップス」が生まれることになります。これはオーケストラと薩摩琵琶・尺八による演奏で成り立つ武満の代表作ですが、この演奏が要求するカラダの酷使によって横山勝也は寿命を縮めたのではないかと当方は思っておおります。
-----20180924(追記)-----
 いま日本では優秀な若手の尺八奏者が活躍し始めております。藤原道山とか
辻本好美・小湊昭尚・佐藤康夫・岩田卓也などなどまだたくさん優秀な若手演奏家おります。でも尺八愛好人口は残念ながら激減しております。そうカレーうどんじゃなくてカレー臭ぷんぷんの尺八愛好家の高齢化が急激に現在進行中だからです。尺八のオークションをちょっとのぞいてみればわかりますよ、亡くなった尺八愛好家の使用していた「竹」つまり尺八が二束三文で投げ売りされておりますからね、十本千円とか・・・。でも、逆に外国では尺八の人気が上昇中です。米国や欧州はもとより最近は中国に火がついたようですからね、日本では尺八は売れませんが、外国ではよく売れて品薄状態、ルートを確保できる人ならば、いまは一攫千金を夢見る千載一遇のチャンスでござんす。
 今年の一月末、お会いしたバッハの無伴奏チェロ演奏後のアーミン・ローベックさんと、尺八のことでお話できたのも、このような尺八界の興隆と変遷があったおかげでできた「つながり」とゆうものでしょうね。これからもどんな「つながり」ができるのか愉しみな今日この頃の oikuri です。

by oikuri | 2018-09-22 19:08 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

つながり 06

2018/09/16(日)    (旧暦)葉月07日

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落ちたパッションフルーツ

 今日(9/16)、温室のパッションフルーツをみに行ったら、すがた形がみえません。ふしぎに思ってあたりを見回すと、地面の上に落ちておりましたですよ。あと二つあるはずなので探すと一つは少し赤くなっているのが見えるのですが、もう一つがみえません。もしやと思い地面を探索するとありましたありました、完熟した少し小さいパッションフルーツが・・・。その持ち帰ったパッションフルーツが、上の写真です。八ヶ岳の麓でも、なんとかパッションフルーツを完熟させることが出来ました。でも、今年は3個どまりとなりそうです。

 新しい職場に一緒に就職した人が、尺八を趣味にしていて、職場の近くに尺八の先生を探しておりましたが・・・。なんとかつてがあり、酒井鈴宇とゆう琴古流の先生についてその人が習い始めました。その酒井鈴宇とゆう方は、初代青木鈴慕の高弟だとゆっておりましたですよ。当方も小さい時に虚無僧が門付けにきたり、居候の人が尺八を吹いていたりしていた環境だったので、尺八に興味がありましたから、彼に誘われるままにその先生について尺八を習い始めたのが、尺八との出会いとなります。それから五十年も竹を吹いて過ごすことになろうとは、思いもしませんでしたね。当方の竹(尺八)は、二代目青木鈴慕(静夫)の兄(道夫)が製管したものを使用しておりましたですよ。ただ道夫さんは、若くして亡くなったため、しばらく竹の補充ができず困ったものです。青木道夫さんが亡くなってしばらくして、遺品として大切に保管されていた尺八を酒井鈴宇先生経由で譲っていただき、今も大切に使わせていただいております。一尺八寸の重くどっしりとした黒い小さい斑が沢山入っている中継ぎの竹です。歌口の水牛の角の部分に一筋のヒビが走っていますが、音には関係なしの名器です。当方の竹号「鈴宇道」と青木道夫と老子の「道(tao)」がここで「つながり」ます。


 追伸
 青木道夫氏の弟(静夫)である二代目「青木鈴慕」が、先月の 8/21に亡くなられました。ほんと・寂しくなります。関心のある方は、下のリンクの文字をクリックしてください。
 




by oikuri | 2018-09-16 15:18 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

つながり 05

2018/09/15(土)    (旧暦)葉月06日

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 だいぶ涼しくなってきました八ヶ岳の麓です。南国のくだものパッションフルーツが温室の中ですこし赤く色づいてきましたよ。つるに生っている状態で色づくのは、はじめての体験です。うまく熟してくれるように祈ります今日この頃の oikuri です。

 当方は大学を卒業すると板橋のメッキ工場に就職。ここで積水ハウスの組立工からメッキ屋さんに鞍替えです。ここで、メッキの研磨作業や防錆剤のシアンを使った洗浄作業やクレーンを使った大型ドラムの電極クロームメッキ作業を行いましたですよ。現場の守衛さん達はみな「鼻中隔穿孔(bicyukakusenkou)」で、職安に求人にゆくと職安の人に「oikuri さん、はやく別のところに職を変えないとダメだよ」とゆわれる程ひどい職場環境でしたが、約10ヶ月間そこで頑張りましたですよ。これで日本の小企業の実態の一端をしっかりみつめさせていただきました。社会保険の手続きにゆくと「お前んとこの会社は、とんでもない会社だっ」と局員にしょっぱなから怒鳴られながらも、書類を受け取ってもらいましたね。ようするに、新入社員の当方は、会社が社会保険の手続きを何年もほっぽってあったのを知らないで、のこのこと出向いたとゆうわけだったのです。その後も旋盤作業で労災事故があり、現場の作業や給与計算などもやりながら労災手続きにも駆け回ることとなり心身の消耗が激しく、また転職するほかなかったですね。まだこのころは日本経済の景気が良かったので、転職も「あり」でした。
 新聞広告の求人欄をみて応募したところ「合格」。入った職場が労働組合が強くて「二年越しの春闘」とゆうのをやっておりましたですよ。前の会社と全く対照的でしたね。前の会社と比べれば、給料も二倍・有給休暇と夏休みを入れると40日以上の有休がとれるし、ボーナスもでるとゆう夢のような労働環境にビックリしたもんです。その上、二年越しの春闘が解決して給与の差額が二年分支給されたんですから、前の職場の薄給の身からすれば、こんなにもらって良いのってのが正直なところでしたよ。同じ日本の中で、こんなに違うんだとゆうのを身をもって実感したわけです。まあ、まえの小企業があまり劣悪だったせいでもありますがね・・・。
 そうそう「いざなぎ景気」の頃です。

 メッキ屋さん時代には、本なんか読む時間はなかったですね。朝のラジオ体操の音楽を聴きながら出かけて、夜遅く帰宅する毎日でしたからね。若かったから、まだなんとかもったのだと思いますです。夜遅くの電車のガラス窓に映る自分の顔をみると、目の周りに「クマ」ができてるんです。そんなにくたびれているのかと、ハンカチで拭くと、緑色の汚れが付いてくる。その頃会社が開発した「旋盤式ドラム研磨機」の試運転に当方が選ばれて作業した時に、研磨棒とゆう通称「あお棒(クロームの粉を固めた研磨剤)」をバフ研磨布にすりつけてクロームメッキしたドラムの表面を研磨するんです。その折に発生する粉塵(二酸化クローム)が顔面に飛んで張り付いていたんですね。風呂に入って洗ったつもりでも、落ちていなかったんです。それに気づかず、くたびれて電車に乗ってガラスの向こうの顔をみて、はじめてはっと気づいたとゆうわけです。つまり、この時期をたとえれば「つながり」と「つながり」の空白期間であったとゆうことです。でもこの空白は、貴重な体験期間でしたね。




by oikuri | 2018-09-15 20:36 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

つながり 04

2018/09/12(水)    (旧暦)葉月03日


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 今回の台風21号による停電はかなりこたえ、この「つながり」シリーズも中断しておりました。まったくスケールが違いますが、911の事変からあとの世界の変わり方も、いろいろと重く各人に負荷を与え今日に及んでおります。あのあとに世界の人間の生命が、どれだけ多く失われることになったか、考えるだけでも恐ろしい数にのぼります。中東で一番豊かであった国が、今や最貧国・内乱状態におかれております。日本も内部崩壊の危機に直面しておりますが、あまりその自覚がないままの日常がつづいています。
 さて、高校生時代に60年安保を大学生時代に70年安保・ベトナム戦争などの学生運動の渦中にあった当方ですが、そこで学んだことは、組織と人間との関係・問題でしたね。既成組織は間違いなく「組織防衛」に走り、個人の自由を束縛・制約することになります。例外はほとんどありません。組織に都合がわるいと判断されると、レッテルを貼って追い出します。その当時、はやったレッテルは「修正主義」とか「アカ」が一般的でしたね。こゆうレッテルを貼られると困るので、個人に組織のリーダーの顔色を伺わせるように仕向ける効果があるから、組織防衛には欠かせない行為なのです。
 組織と無縁にいきることはむつかしいけれども、組織に属した時に「個人の自由を束縛する」ような事象に遭遇したならば、個人の自由を優先して考えるようにいきないと、組織を防衛する側に属してしまう結果となります。組織防衛を最優先すれば、最終的には「リンチ・殺人」とゆう結果を招くことにもなりかねません。この時代は、こうゆう事態をまのあたりにして生きた時期でしたよ。いまは、小学校や中学校での「いじめ」とゆう事態をまのあたりにしている時期なのでしょうね。つまりそれはいまの社会や会社の組織防衛の現状を反映したものなのでしょう。組織は防衛すればするほど、組織内部が「腐って」ゆきます。組織防衛の怖いところは、組織防衛をしている人が「組織のために良い事をしている」と思い込んでいることなんです。はやく気づいて組織防衛をやめないと、組織崩壊とゆう地獄が待っておりますからね、おきをつけあそばせ。
 「自在無礙(Jizaimuge)」とゆうことばを分かりやすくおしえてくれた人が、飯島貫実(Iijima Kanjitsu)氏です。「個人の自由」を「自在無礙」とゆう仏教とヨーガに結びつけて説いてくれた「仏教ヨーガ入門」で教えてくれました。「ヨーガ革命1肉体篇」は、今も参考にしております。「病気は治してはならない。病気の原因をとりのぞかなければならない」とゆう言葉はいまも忘れておりませんですよ。





by oikuri | 2018-09-12 23:05 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

グリーンカボス

2018/09/09(日)    (旧暦)文月30日


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大分県臼杵のカボス

 きのう畑から帰ると玄関に荷物が、臼杵のグリーンカボスです。からいもさん、いつもありがとう。
 ことしはサンマが豊漁とかの報道があったので、カボスの出番も多くなるかもね。絞ってジュースで飲んでもおいしいです。皮も食べられるので重宝します。やまの食卓が豊かになり、食事が一層たのしくなります。ありがとうございます。





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きょうの阿弥陀岳

ここのところ雨模様の天気が続いてますが、雨の合間をぬうように草刈りの毎日です。草刈りに疲れて帰る道の先に阿弥陀岳が顔をだして、おつかれとゆっているようで少し気分が軽くなります。





by oikuri | 2018-09-09 16:21 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

無効なURLです。

2018/09/09(日)    (旧暦)文月30日

無効なURLです。
プログラム設定の反映待ちである可能性があります。
しばらく時間をおいて再度アクセスをお試しください。



 台風21号のおかげで停電となり55時間後に復旧したことまではお知らせしましたが、WEBメールを急いで見ようとしたら上記のメッセージが表示されたきりでメールの入り口にさえ到達できません。何度も「再度アクセス」を試みても同じ画面が表示されるだけで進展なし。あれやこれや(キャッシュの消去など)の解決試行を実施しても解決せず、1日以上経っても同じ症状なのです。
 WEBブラウジングには「FireFox」を通常利用していたので「Safari」に変更しても同じ症状で進展なく、それではMACではなくWindowsではどうかと試した処、全く同じメッセージが出て駄目。しかたなく、あらたに別のメールに切り替えようと思案。とにかく、メールを読み書きできないと連絡に不便。

 どうもこの症状は、WEBメール管理者側には責任はなく(通常に稼働)て、インターネットの運用中継仕様の問題らしいことが段々と分かってきたので、最後の手段として、今まで利用した事のないWEBブラウジング・ソフトを導入してみることにする(そうしたら解決したとゆう経験談を参考)。
 そこでこのパソコンに三つ目のWEBブラウジング・ソフトを導入することになり、「Google Chrome Canary」とゆうのをダウンロードし導入、「無効なURL」で検索してWEBメールの入り口を見つけることが出来ましたですよ。やれうれしやと早速にWEBメール管理者に連絡メールを出そうと「アドレス帳」を開いたら全部消えていましたのですよ。しかたなく、とりあえずWEBメール管理者のメールアドレスを手打ちして、初メール。届いたかな?



by oikuri | 2018-09-09 09:00 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

停電

2018/09/07(金)  (旧暦)文月28日


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昨日(9/6)の16時頃、倒木断線復旧工事(中部電力)

 あの台風21号の風が吹き始めた9月4日(火)の16時に停電し、さっき6日(木)の23時に復旧、今(7日)やっとWEBに繋がるようになりましたですよ。さすがに55時間も電気が止まると冷蔵庫の中は悲惨なものです。携帯電話もスマートフォンも持たない当方は電気が止まると情報過疎化、電気が来て良かったと喜んだのもつかの間、メールを読もうとしたらグリグラのメールサーバーが行方不明で使えません。もしかしてメールサーバーの管理者がこのブログを読んでくれて対応してくれたら助かるのですが・・・。管理者のいる処も停電だったようで、あまり期待しないほうが良いかもね。北海道も、地震と停電で大変なことになっているようで、他人事ではありません今日この頃の oikuri です。


by oikuri | 2018-09-07 00:52 | 八つだより | Trackback | Comments(2)

つながり 03

2018/09/04(火)  (旧暦)文月25日


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写真 昨日の収穫


 そう、高校時代にはもうひとつおおきなことがありましたですよ。それは、父の死です。高校一年の九月後半のことです。これ以降、当方は自分の事は自分で決めることになりましたですよ。母親は日々の生活費を工面するので精一杯でしたからね、それ以上迷惑と負担をかけるわけにはいかなくなったんです。だから、高校を卒業と同時に積水ハウスの組立工になって働きましたです。そのころは、まだ積水ハウスもプレハブメーカーとしては駆け出しでしたからね、草創期です。アルミの屋根と外壁のA型とかB型とかゆうモデルナンバーの時代ですから、おもちゃみたいなプレハブでしたが、駒沢のオリンピック事務所などを徹夜して建てたものです。そうゆえばまだ渋谷から三軒茶屋まで玉電の走っていた頃のことです。




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写真 昨日のススキ



 組立工とゆう肉体労働をしているとだんだんと頭を使う余裕がなくなってきて、久しぶりの弦楽四重奏のコンサートにいっても愉しむよゆうがなくなっているのに気付き、がくぜんとしたのを覚えております。これではいかんと思い始めたが、どうしたらよいかわからず二年間を過ごし、とにかくぐずぐずしていても社会から非難されない猶予期間がもらえる大学生活に身を置くことを考え、実行しました。もちろん、大学生活をしながらも組立工はやってましたから、学費から生活費はすべて稼いでおりましたですよ。そのかわりあまり授業には出ておりませんでしたね。「おい oikuri 、先生がこのまま欠席が続くとこの学生には単位をやれなくなると言ってたぞっ」と同級生にゆわれて、すごすごと語学の授業に出席するありさまでしたから、大学の成績なんか問題になりませんね。でも経済のゼミナールだけはちゃんと出席しましたからね、そこそこ勉強になったです。ここでアダムスミスやケネーやマルクスに出会う事になります。マルクスの資本論で、論理的に考えることとはどうゆうことかを教わりましたですね。あと、おもしろかった授業が「日本史」、色川大吉とゆう若手の先生が明治精神史を熱弁しておりましたから、授業に熱気がありましたですよ。この方からは、人間の心と歴史の展開との関係を把握する方法論を教わりましたですよ。





by oikuri | 2018-09-04 10:34 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

つながり 02

2018/09/02(日)  (旧暦)文月23日

  
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写真 ゴボウの実


 そうして当方の高校時代とゆえば、あの「60年安保」があったときです。キシをたおせ!なんて叫びながらデモ行進した記憶もあります。今のアベ総理のおぢいさんの時代ですね。樺美智子さんが亡くなり潮がひくように静まったのが印象的でした。あのころ社会科学研究会などとゆう厳しいクラブがありましたが、まだ当方の思考に食い込んでくるものではなかったですね。むしろ西田幾太郎とかに心酔していた仲間がいて、三木清などの本の読書会みたいのに参加するくらいのことでした。
 このころから読み始めたのが、夏目漱石の小説。吾輩は猫であるなどは、小学生のころから知っておりましたが、人生の悩みをじっくりとみつめ苦悩する漱石の姿勢にひかれたのだと思います。このころから、自分と違う他者の存在を切実に感じるようになり、いっぱしに完全なる他者として意識した女性に恋をする経験ももちました。いわゆる自我の目覚めとゆうことでしょうか、遅いですね。そしてこの「自我」をどうとらえるかが、その後の当方の思考の軌跡をとらえる道標になります。漱石も「則天去私」なんてことを言ったとかゆわなかったとか・・・でも、やはり私欲・我欲をのりこえなければならなくなるのが人生と云うものでしょう。

則天去私に興味のある方は、以下をチェックしてください。




by oikuri | 2018-09-02 12:54 | 八つだより | Trackback | Comments(0)