八ヶ岳山麓の阿弥陀岳の麓「美濃戸minoto」での日常生活
by oikuri
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2018年 09月 22日 ( 1 )

つながり 07

2018/09/22(土)    (旧暦)葉月13日


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きょうの「パッションフルーツ」



 雨があがったので畑に出かける。三つ目の「パッションフルーツ」をみると良い色でツルに下がっております。写真を撮ろうとして周りの葉を少し移動したところパッションフルーツの実がポトンと落ちましたですよ。上の写真の一番右の実がそれです。今年の完熟「パッションフルーツ」が三役揃い踏みとゆった感じです。


 当方が尺八をはじめてからしばらくして、昭和三十年に亡くなった初代青木鈴慕のあとをついで青木静夫が昭和五十(
1975)年に二代目青木鈴慕を襲名披露。このあと尺八三本会等々の活動があって一つの尺八の隆盛期を迎えることになります。青木鈴慕・横山勝也・山本邦山とか山口五郎に村岡実・宮田耕八郎とゆう方々が活発に演奏活動を行う時期でしたね。この時期、納富治彦氏が若くして亡くなりました、ほんとこれからとゆう方でしたからね残念です。
 この隆盛をささえたのが大学のクラブ活動でしたね。その頃のことをよく知っている方が「邦星堂和楽器店ブログ」を書いておられる大橋鯛山です。


 このブログの古い記事を読めば、この隆盛期にどんなことが行われていたか良くわかります。ちょと根気がいりますが・・・。 
 尺八が虚無僧に独占されていた江戸期が終わり、明治期に入り「尺八」禁止が実施されます。その禁止をくぐりぬけなんとか一般人が尺八を吹けるようにした明治期の方々の努力があっての昭和40・50年代の隆盛期があったのです。そしてこの頃から家元制や流派にこだわらない交流や演奏活動ならびに作曲がはじまり、譜面も五線譜でも演奏できるようになってゆき、武満徹の「ノベンバー・ステップス」が生まれることになります。これはオーケストラと薩摩琵琶・尺八による演奏で成り立つ武満の代表作ですが、この演奏が要求するカラダの酷使によって横山勝也は寿命を縮めたのではないかと当方は思っておおります。
-----20180924(追記)-----
 いま日本では優秀な若手の尺八奏者が活躍し始めております。藤原道山とか
辻本好美・小湊昭尚・佐藤康夫・岩田卓也などなどまだたくさん優秀な若手演奏家おります。でも尺八愛好人口は残念ながら激減しております。そうカレーうどんじゃなくてカレー臭ぷんぷんの尺八愛好家の高齢化が急激に現在進行中だからです。尺八のオークションをちょっとのぞいてみればわかりますよ、亡くなった尺八愛好家の使用していた「竹」つまり尺八が二束三文で投げ売りされておりますからね、十本千円とか・・・。でも、逆に外国では尺八の人気が上昇中です。米国や欧州はもとより最近は中国に火がついたようですからね、日本では尺八は売れませんが、外国ではよく売れて品薄状態、ルートを確保できる人ならば、いまは一攫千金を夢見る千載一遇のチャンスでござんす。
 今年の一月末、お会いしたバッハの無伴奏チェロ演奏後のアーミン・ローベックさんと、尺八のことでお話できたのも、このような尺八界の興隆と変遷があったおかげでできた「つながり」とゆうものでしょうね。これからもどんな「つながり」ができるのか愉しみな今日この頃の oikuri です。

by oikuri | 2018-09-22 19:08 | 八つだより | Trackback | Comments(0)