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八ヶ岳山麓の阿弥陀岳の麓「美濃戸minoto」での日常生活
by oikuri
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つながり 03

2018/09/04(火)  (旧暦)文月25日


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写真 昨日の収穫


 そう、高校時代にはもうひとつおおきなことがありましたですよ。それは、父の死です。高校一年の九月後半のことです。これ以降、当方は自分の事は自分で決めることになりましたですよ。母親は日々の生活費を工面するので精一杯でしたからね、それ以上迷惑と負担をかけるわけにはいかなくなったんです。だから、高校を卒業と同時に積水ハウスの組立工になって働きましたです。そのころは、まだ積水ハウスもプレハブメーカーとしては駆け出しでしたからね、草創期です。アルミの屋根と外壁のA型とかB型とかゆうモデルナンバーの時代ですから、おもちゃみたいなプレハブでしたが、駒沢のオリンピック事務所などを徹夜して建てたものです。そうゆえばまだ渋谷から三軒茶屋まで玉電の走っていた頃のことです。




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写真 昨日のススキ



 組立工とゆう肉体労働をしているとだんだんと頭を使う余裕がなくなってきて、久しぶりの弦楽四重奏のコンサートにいっても愉しむよゆうがなくなっているのに気付き、がくぜんとしたのを覚えております。これではいかんと思い始めたが、どうしたらよいかわからず二年間を過ごし、とにかくぐずぐずしていても社会から非難されない猶予期間がもらえる大学生活に身を置くことを考え、実行しました。もちろん、大学生活をしながらも組立工はやってましたから、学費から生活費はすべて稼いでおりましたですよ。そのかわりあまり授業には出ておりませんでしたね。「おい oikuri 、先生がこのまま欠席が続くとこの学生には単位をやれなくなると言ってたぞっ」と同級生にゆわれて、すごすごと語学の授業に出席するありさまでしたから、大学の成績なんか問題になりませんね。でも経済のゼミナールだけはちゃんと出席しましたからね、そこそこ勉強になったです。ここでアダムスミスやケネーやマルクスに出会う事になります。マルクスの資本論で、論理的に考えることとはどうゆうことかを教わりましたですね。あと、おもしろかった授業が「日本史」、色川大吉とゆう若手の先生が明治精神史を熱弁しておりましたから、授業に熱気がありましたですよ。この方からは、人間の心と歴史の展開との関係を把握する方法論を教わりましたですよ。





by oikuri | 2018-09-04 10:34 | 八つだより | Trackback | Comments(0)
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