八ヶ岳山麓の阿弥陀岳の麓「美濃戸minoto」での日常生活
by oikuri
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あすは弥生

2015/04/18(土) (旧暦)如月30日

 里の桜はおわりに近いようですが、今日は旧暦で如月の最終日、あすから弥生に入ります。そのあすには、はるばる熊本からともだちが遊びに来てくれるので、いまからたのしみです。

 写真は、ヤマガラ。
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心を、空っぽにしてみる。
すると、本当の静けさを感じるよ!

空っぽな心に
静けさが満ちわたると感じるとき
道(タオ)の働きに気づく。

・・・

天と地をめぐって動く命の流れを
静かに受け入れてごらん。
自分の身の上でくよくよするなんて
馬鹿らしくなるよ。

加島祥造著 「老子」新訳第16章(45頁)静けさに帰る より抜粋


 ひととひととの出会いってゆうのは、いのちといのちの出会いでもあります。それぞれのベクトル(方向)をもったひととひととの命が交さくする一瞬って、なにか不思議なものを感じますね。出会いの一瞬が偶然のようでもあり、あとで考えると必然のようでもあり、運命的なものを感じたりします。70年以上も生きてくると、ひととの出会いもさることながら、いろんな考え方に出会うのも同じような不思議さを感じます。うえに引いた「老子」のことばにしても、なにも考えず空っぽな心理状態の時にフッと現れた感じがします。「能」にしても、ともだちがチラッと書いてくれたコメントに触れてから、あれよあれよとゆう展開で、全く未知の別世界が眼前にひろがっておどろきとときめきを感じております今日この頃です。


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# by oikuri | 2015-04-18 17:22 | 八つだより | Trackback | Comments(1)

八王子

2015/04/14(火) (旧暦)如月26日

 今日(4/14)の午後三時ごろに八ヶ岳に戻り、亡くなられたBBさんのお母さまにお別れの挨拶をする。やすらかな眠るような最後のお顔はつやつやとしていて、ふと目覚めるのではないかとゆう風情を感じさせます。こうゆうおだやかな亡くなり方はなかなか望んでもかなうものではありません。90歳を超えて、訪れるものに「死は安らぎをあたえてくれるからね、こわがらなくても良いよ」と教えてくれているみたいです。
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 4/11から八王子にゆき、家の修理(柱の塗装)や樹木の剪定をしてまいりました。庭の桜の樹からは、一日中はらはらとゆきのように花びらが舞い落ち、地面が白く雪が積もったようにおもえるほどです。4/12には長女と次男も集まっての夕食会を催すことができましたです。みんな元気にあつまれるのが一番ですね。


 最近読み始めた「異界を旅する能」(安田登著・ちくま文庫)は「あとがき」から読んだので、著者のゆうことも手伝って、あちこちつまみぐいのように読み進んでおります。ひとわたりざっと目を通したのようなので、腰を据えて最初から読もうとして「序章」を七頁ほど読み八頁に入ったところで、?? あっれ ?? どこかできいた名前・・・「田代慶一郎」とゆう文字が目に飛び込んできましたですよ。前にも申したように当方はお「能」の知識は皆無なので、当方が知っているフランス語の教師であられた「田代慶一郎」先生と同一人とは夢にもおもえなかったのです。でもWEBで検索して調べると間違いなく同一人物。一瞬自分の目を疑いましたですね。
 安田登氏がそこで引いている田代慶一郎先生の「夢幻能」とゆう著作を早速取り寄せて読み始めると、これがなんとも読みやすくすいすいと引き込まれるようにして、八王子にいる間に一応ざっと目を通し終わっておりましたですよ。そして無知だったお「能」の全体像のイメージがおぼろげながらも浮かぶような気持ちにしてくれております。まっ、実際のお「能」を鑑賞したことがない身ですから、知識だけのかたちだけの理解なのですが、全くの白紙状態に、すこし何かが記されたような感じではあります。そして、フランス語の先生とゆうイメージに、お「能」の理解者としての「田代慶一郎」先生が加わって一段と豊かな先生のイメージが形成された今日この頃、みなさまいかがおすごしでしょうか?

 桜ふる ゆめまぼろしの 八王子

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# by oikuri | 2015-04-14 19:31 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

春雪

2015/04/08(水) (旧暦)如月20日

 今朝(4/8)目覚めたら・・・一面の雪景色・・・春雪です。
 昨日まで、夏のような陽気でしたからね、嘘みたいな天気です。
 でも、嘘でない証拠にリス君が木の枝で雪に降られて寒そうにしております八つの朝です。

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 老子のゆう「道(タオ)」は、決して「異界」のはなしではありませんが、なぜか異界みたいに普段気がつかないありようなのですよね。でも、注意していれば自分の中にも自然の中にもあるものなんですが、お「能」のワキがシテに生きあうような「場」みたいなものが、タオ(道)エナジーに気づくためにも必要みたいですね。当方が写真を撮るのも、そんな「場」を利用してタオ(道)エナジーを感じるためのワキ的な行為の側面があるようにおもはれるのです。その一瞬を逃すと現れないタオの美しさややさしさや神々しさを追い求めてシャッターをしょうこりもなくきり続けているのかも・・・。


大切なのは
自分個人のなかに、
タオ・パワーを養うことだ。
世界の平和は
ひとりひとりが
この広いタオの道を
歩きだすことから
始まるんだよ。

加島祥造 「老子」新訳(地湧社)第54章(p130-131)
              まずは君自身が「自由」になること より抜粋
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# by oikuri | 2015-04-08 20:59 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

おもふ

2015/04/05(日) (旧暦)如月17日

 三月すえから今日(4/5)まで孫たちがあそびにきておりましたですよ。まあ、成長したような相変わらずのような毎日でした。こんどいつ来るのかな?
 それにしても昨日は暑かったです。ここの外気温がプラスの19度Cもあって、まるで夏日でしたよ。

 昨日遊びに行った八ヶ岳自然文化園に咲いていた水芭蕉。
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 当方は、お「能」についてはからきし知識もなく70年も過ごしてまいりましたが、いただいたコメントに刺激されて、安田登「異界を旅する能」ちくま文庫や-40-2を遅ればせながら手にとってみております。
 その副題が「ワキという存在」とゆうんですが、ワキとゆう言葉は聴いていてもその内容についてはなにも知らずにきて、今頃ほうなるほどふんふんとゆう具合で、にわか知識を仕込んでおります。

 この本を読んでいるといろいろなことが脳裏に呼び覚まされて、あれこれと本題と離れた妄想が浮かんでは消えするので、そうゆう意味でもとてもおもしろく愉しみながら文字をおっておりますですよ。

 そんなこんだで、読書中に浮かんだ妄想などをすこしづつつづってみようかとおもふ今日この頃、みなさまいかがおすごしでしょうか?

 西洋の哲学者のことばに「われ おもふ ゆえに われ あり」とゆうのがありますが、この「おもふ」われは、どうも自然から切り離された人間(われ)であるようですね。
 日本で使われる「おもふ」は、どうも自然にどっぷりと漬かった人間(われ)のようです。だからでしょうか、道(タオ)なんて発想も自然と切り離せないところから出てきており、日本人の一角を汚している当方などには馴染みやすい発想なのかもしれませんね。

 また「自由」とゆうことばも、西洋では時の支配権力からの「自由」とゆう意味合いから生まれてきているようですが、日本でゆう「自由」は、いろんなしがらみからの「自由」とゆう意味合いが強くて、支配権力からの「自由」とは意識的に大分ずれているようですね。「権利」も西洋では獲得するものの意味合いで成立するものですが、日本では「権利」はあるもの又はあたえられるものの意味合いが強いようにおもいます。まっ、これは当方の妄想ですからあたっているかどうかはあやしいものですが・・・。でも、これを前提にすると、日本国憲法の存在の危うさの根源が、その同じ「ことば」に西洋的な発想と日本的な発想が明確に意識されないで、場合によってはごちゃごちゃに恣意的に我田引水的に利用されてきたところにあるのではないか、とおもふ今日この頃です。



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# by oikuri | 2015-04-05 11:23 | 八つだより | Trackback | Comments(1)

音楽

2015/03/26(木) (旧暦)如月07日

 音楽、歌でもいい楽器でもいい、独奏でも合奏でもいい。音楽のジャンルは問わない。聴きたいときに聴きたい曲をきければそれだけで幸せになれる。こころが自由になる。

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 ちょうど老子が・・・


大自然(タオ)の母親のおっぱいを
たっぷり吸っているんだよ。
滋養でいっぱいの
あのお乳をね。

加島祥造「老子」新訳(地湧社)第20章「おっぱい」は好きなだけ吸うがいいより抜粋

 ・・・とゆうように音楽を通して道(タオ)の力(エナジー)が身体に染み込んでくる感じです。好きな音楽を聴いているときは、まさに「滋養でいっぱいのお乳をたっぷり」と吸う感じです。音楽の持つ癒しの力は、道(タオ)そのものの力に依っているのかも知れませんね。


------------ 以下はCMです。無視してくださいね。 ------------
# by oikuri | 2015-03-26 19:51 | 八つだより | Trackback | Comments(0)