ブログを再開しました。今までのおやすみをお詫び申しあげます。
by oikuri
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30


窓際のハーブ

2015/02/09(月) (旧暦)師走21日

 窓際に置いてた植木鉢からなにもしていないのにハーブの芽がのび、朝日をうけてしっかりとからだをもたげて輝いています。
d0116207_96203.jpg

 立春は過ぎたとゆえここ八つの外気温は、マイナス13度Cの雪景色です。ハーブに育ち方を教えたわけもありませんし、ゆうなればかってに太陽を利用して生育しているわけです。このハーブの芽を学校にゆかせ水の吸い方や栄養のとりかたを教育したら、こんなに元気に育たずにとっくに枯れてしまっているとおもいますね。人間がよけいなことをしないほうがちゃんと育つもんだぜって、ハーブは当方に教えてくれているようです。とても美しい姿で・・・

 世間を知ることは
 薄っ暗い知識にすぎない。
 自分を知ることが
 本当の明るい知識なんだ。

 加島祥造 「老子」新訳(地湧社)第33章「自分」のなかの富より抜粋・・・

 まわりに気をとられないようにしっかりとじぶんをみつめて「自分を知る」ことに努め、自分のよくにうち克つにはなみの姿勢では叶わないよと老子はゆう。自分のよくにうち克って、足るを知るようになれば、あのハーブのように生きる知恵「命の道」がみえてくるんだよと・・・


------------ 以下はCMです。無視してくださいね。 ------------
# by oikuri | 2015-02-09 08:59 | 八つだより | Trackback | Comments(1)

賢い道

2015/02/05(木) (旧暦)師走17日

 あの豊かだとゆわれた戦後のすえの時代は夢のように消え、生活保護や労働貧民が日増しに増えつつある現実に追い打ちをかけるように311の大震災とそれにともなう福一の原発事故が起こり、なおかつおいうちをかけるようにそれに戦争のできるくににしようとひっしにどりょくしておるようなきょうこのごろのうごきをみていると、庶民は老子のゆう「賢い道」をせんたくし生きる必要があるようです。

d0116207_13233662.jpg


 人民が飢えるのは
 国が
 やたらに税金を取り立てるからだ。
 飢えると、
 人民は治まらなくなる。
 治まらないのは
 人民のしたことではなく
 君主のしたことだ。
 人民が苦しんで死にたくなっても
 上の連中は飽くまで求め、
 享楽し、
 人民の死なんか省みない。
 こういうとき
 タオの人は十分に生きることを
 まず貴ぶ。
 これが賢い道だ。

 加島祥造「老子」新訳(地湧社)第75章「いま生きている命こそ貴い」より

(註)タオの人・・・命の道によりそって生きている人のこと・・・oikuri。

------------ 以下はCMです。無視してくださいね。 ------------
# by oikuri | 2015-02-05 13:42 | Trackback | Comments(1)

命の道

2015/02/02(月) (旧暦)師走14日

 節分はあす、そのあとは立春と冬も終わりの八つとなりますでしょうか?

 あなたの命を私が代わりに生きることが出来ないように、私の命を他の誰も代わりに生きることができない。命は個々の一人一人に備わり一匹一匹の動物一本一本の木々に備わって他が代わることのできない大切なものです。この大切な命を粗末にすることは、命の道に反することになります。

 道からの命は、
 水と同じように
 誰のなかにもあり、
 すべてのものを生かす力だ。
 だから善人はこれを宝とし、
 悪人も大切にする。
 世の善人ばかりか
 悪人だって
 これだけは捨てないのだよ。
 ひとに祝われる善人がいい車に乗ってゆくがね、
 貧しいダメ人間だって
 道パワーとともに
 坐っていられるのだ。

 いったいなぜ、昔から
 この道が貴ばれるのか
 知っているかね?
 幸運を求めて得た者も
 失敗して罪を犯した者も
 受け入れるからさ。
 だから貴ばれるのさ。

 加島祥造 「老子」新訳(地湧社) 第62章「すべてのものを生かす力」より


d0116207_2211183.jpg


       2015-01-18 の御嶽山(八つからの遠望)

------------ 以下はCMです。無視してくださいね。 ------------
# by oikuri | 2015-02-02 22:01 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

禍のもと

2015/01/28(水)  (旧暦)師走09日

 小雪がちらつきぐんと冷えてきた八つの夜です。

 欲しがり、さらに取ろうとすることほど
 罪なことはない
 足ることを知らないのが
 すべての禍の元なのだ、
 ひとたび足ることを知れば
 それが中心となる。

 加島祥造・・・「老子」新訳 第46章(地湧社)より・・・抜粋


d0116207_2052261.jpg

 八ヶ岳の登山口の一つ美濃戸口にある「八ヶ岳山荘の夜景」

------------ 以下はCMです。無視してくださいね。 ------------
# by oikuri | 2015-01-28 20:30 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

徳の道

2015/01/25(日)  (旧暦)師走06日

 好天の冬晴れに雪も溶けだす八つの午後です。

 老子はその昔、函谷関の役人に請われて通称「道徳経」とゆわれる文章を書き残したとゆう。今現在では「道経」が頭にきて38章から「徳経」とされていますが、古いお墓から出てきたものは、どうも「徳経」が先で「道経」が後の構成になっているとのこと。どっかの時点で後先がぎゃくになってしまったようなのですね。
 だいたい老子につまづいた人たちの言をきくとしょっぱなの「道は道と言ってもいわゆる道とはちがうんだ」なあんて突然でてくるでだしにつまずいてすっころんでたちあがれなくなったとゆう方が多いようなんですね。
 幸いとゆうか偶然とゆうか当方は漢語に疎いため、出だしにつまづくこともなく日本語で老子に接してきておりますが、それでもこの出だしは唐突な感じがしておりましたですよ。
 古いお墓から出てきたとゆう文章は「徳経」が先で「道経」が後の構成だとゆうので調べると、古い文章構成の方がやはり導入としては「入りやすく」できてるように思います。「徳経」の出だしの章は「真の徳とは」・・・ではじまります。
 
d0116207_17314167.jpg

 「徳」とゆうのは「良い行い」とか「善行」とかゆうんではなく、争うこころを鎮めよくを慎み自然を敬い心優しく生きるひとから「道」が自然に湧き上がってその人の表面に現れてくるくるものをゆうんで、ほんとに「道」の生き方をしている人に自ずから備わるものなんだから、備わっている本人はちっとも「徳」があるなんて意識しないで生活してるんだよとゆう。
 だから「道」の生き方をしていないひとたちが、道徳だ仁だ義だ礼だとうるさくふれ歩くのであって、ほんとに「徳」のあるひとは、そんなよぶんなこともせずに静かに黙って生活を愉しんでいるんだよとゆう。
 こうゆわれると、じゃあ「道」っていったい何なんだ?・・・とゆうことになると思うんですよね。で、後に「道経」があるとゆうふうになるのが自然だと当方は思うんですが、その道に詳しい方のご意見を伺いたいものです。


------------ 以下はCMです。無視してくださいね。 ------------
# by oikuri | 2015-01-25 17:33 | 八つだより | Trackback | Comments(0)