八ヶ岳山麓の阿弥陀岳の麓「美濃戸minoto」での日常生活
by oikuri
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カテゴリ:八つだより( 114 )

命は我にあり

2015/02/16(月) (旧暦)師走28日

 旧暦でゆくと今日は「仕事納め」の日、いよいよ春節到来です。
 福沢諭吉がその小冊子で口汚く「旧暦」をののしりさげすんで「新暦」をやたら持ち上げたからかどうかはしりませんが、明治以降は西洋暦に席捲されて旧暦の影は薄くなってひさしい。でもね、農業や命にとっては旧暦は欠かせない道具なんですよ、知らないでしょう。潮の干満なんて命に関係ないとおもっておられる方ばかりの日本になってしまってますもんね、いたしかたございません。
 さて、江戸時代の名著「養生訓」を遺した貝原益軒さんも、年季の入った老子愛好者だったんですね。読むと随所に老子の言葉が散りばめられていて、キラキラとあちこちで輝きを放っているのが目につきます。 たとえば・・・

 人の命は我にあり、天にはあらずと老子いへり。人の命は、もとより天にうけて生まれ付たれども、養生よくすれば長し、養生せざれば短かし、然れば長命ならんも、短命ならむも、我心のままなり。身つよく長命に生まれ付たる人も、養生の術なければ早世す。虚弱にて短命なるべきと見ゆる人も、保養よくすれば命長し、是皆、人のしわざなれば、天にあらずといへり。・・・
 伊藤友信訳・貝原益軒「養生訓」巻第一・総論上 P-261 より抜粋

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 山に登るにもルート案内標識が設置されておりますように、人生にも生き方の案内標識がそこここに設置されておるようなんですがみんな無視して通り過ぎて道に迷い遭難してしまうようですので、他人ごとではなくおたがいに気をつけて歩むことにいたしましょうね。

 そうそう、かおりさん チョコありがとう。

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by oikuri | 2015-02-16 17:58 | 八つだより | Trackback | Comments(2)

ちからづくでやったって・・・

2015/02/13(金) (旧暦)師走25日

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 写真は「ノリウツギの花」がドライになって雪の上に落ちたところ
 春近し わがみをおもう ノリウツギの花

 やっちゃいけないことを平気でやって、ついてはいけないうそを平気でついて、じぶんのよくをみたせばたにんがどうなろうと平気でいられるのが、にんげんのもつみにくい一面なのですがね。でも、そんなことを永遠につづけられると思ったらとんだおおまちがい、もうすぐうそがばれてつみをあがなわなければならなくなりますのですが、それでもやめられないのがにんげんの弱さなのでしょうね。じぶんにうち克つことができないような弱いにんげんが、ぎゃくに他人にたいしてはものすごく強くでるものと相場はきまっておりますから、そうゆうひとがいたら「じぶんにうち克てない弱いひと」なんだなと冷静に対応するのが賢い道です。

 自分を守って、誇らない。
 勝っても驕らない。
 結果を誇る者は
 まもなく衰えるよ。

 暴力や力ずくでしたことなんて
 みんな長つづきしないじゃないか。

 加島祥造 「老子」新訳(地湧社)第30章力ずくでやると・より抜粋

 お茶さん コメありがとう。


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by oikuri | 2015-02-13 20:28 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

窓際のハーブ

2015/02/09(月) (旧暦)師走21日

 窓際に置いてた植木鉢からなにもしていないのにハーブの芽がのび、朝日をうけてしっかりとからだをもたげて輝いています。
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 立春は過ぎたとゆえここ八つの外気温は、マイナス13度Cの雪景色です。ハーブに育ち方を教えたわけもありませんし、ゆうなればかってに太陽を利用して生育しているわけです。このハーブの芽を学校にゆかせ水の吸い方や栄養のとりかたを教育したら、こんなに元気に育たずにとっくに枯れてしまっているとおもいますね。人間がよけいなことをしないほうがちゃんと育つもんだぜって、ハーブは当方に教えてくれているようです。とても美しい姿で・・・

 世間を知ることは
 薄っ暗い知識にすぎない。
 自分を知ることが
 本当の明るい知識なんだ。

 加島祥造 「老子」新訳(地湧社)第33章「自分」のなかの富より抜粋・・・

 まわりに気をとられないようにしっかりとじぶんをみつめて「自分を知る」ことに努め、自分のよくにうち克つにはなみの姿勢では叶わないよと老子はゆう。自分のよくにうち克って、足るを知るようになれば、あのハーブのように生きる知恵「命の道」がみえてくるんだよと・・・


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by oikuri | 2015-02-09 08:59 | 八つだより | Trackback | Comments(1)

命の道

2015/02/02(月) (旧暦)師走14日

 節分はあす、そのあとは立春と冬も終わりの八つとなりますでしょうか?

 あなたの命を私が代わりに生きることが出来ないように、私の命を他の誰も代わりに生きることができない。命は個々の一人一人に備わり一匹一匹の動物一本一本の木々に備わって他が代わることのできない大切なものです。この大切な命を粗末にすることは、命の道に反することになります。

 道からの命は、
 水と同じように
 誰のなかにもあり、
 すべてのものを生かす力だ。
 だから善人はこれを宝とし、
 悪人も大切にする。
 世の善人ばかりか
 悪人だって
 これだけは捨てないのだよ。
 ひとに祝われる善人がいい車に乗ってゆくがね、
 貧しいダメ人間だって
 道パワーとともに
 坐っていられるのだ。

 いったいなぜ、昔から
 この道が貴ばれるのか
 知っているかね?
 幸運を求めて得た者も
 失敗して罪を犯した者も
 受け入れるからさ。
 だから貴ばれるのさ。

 加島祥造 「老子」新訳(地湧社) 第62章「すべてのものを生かす力」より


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       2015-01-18 の御嶽山(八つからの遠望)

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by oikuri | 2015-02-02 22:01 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

禍のもと

2015/01/28(水)  (旧暦)師走09日

 小雪がちらつきぐんと冷えてきた八つの夜です。

 欲しがり、さらに取ろうとすることほど
 罪なことはない
 足ることを知らないのが
 すべての禍の元なのだ、
 ひとたび足ることを知れば
 それが中心となる。

 加島祥造・・・「老子」新訳 第46章(地湧社)より・・・抜粋


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 八ヶ岳の登山口の一つ美濃戸口にある「八ヶ岳山荘の夜景」

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by oikuri | 2015-01-28 20:30 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

徳の道

2015/01/25(日)  (旧暦)師走06日

 好天の冬晴れに雪も溶けだす八つの午後です。

 老子はその昔、函谷関の役人に請われて通称「道徳経」とゆわれる文章を書き残したとゆう。今現在では「道経」が頭にきて38章から「徳経」とされていますが、古いお墓から出てきたものは、どうも「徳経」が先で「道経」が後の構成になっているとのこと。どっかの時点で後先がぎゃくになってしまったようなのですね。
 だいたい老子につまづいた人たちの言をきくとしょっぱなの「道は道と言ってもいわゆる道とはちがうんだ」なあんて突然でてくるでだしにつまずいてすっころんでたちあがれなくなったとゆう方が多いようなんですね。
 幸いとゆうか偶然とゆうか当方は漢語に疎いため、出だしにつまづくこともなく日本語で老子に接してきておりますが、それでもこの出だしは唐突な感じがしておりましたですよ。
 古いお墓から出てきたとゆう文章は「徳経」が先で「道経」が後の構成だとゆうので調べると、古い文章構成の方がやはり導入としては「入りやすく」できてるように思います。「徳経」の出だしの章は「真の徳とは」・・・ではじまります。
 
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 「徳」とゆうのは「良い行い」とか「善行」とかゆうんではなく、争うこころを鎮めよくを慎み自然を敬い心優しく生きるひとから「道」が自然に湧き上がってその人の表面に現れてくるくるものをゆうんで、ほんとに「道」の生き方をしている人に自ずから備わるものなんだから、備わっている本人はちっとも「徳」があるなんて意識しないで生活してるんだよとゆう。
 だから「道」の生き方をしていないひとたちが、道徳だ仁だ義だ礼だとうるさくふれ歩くのであって、ほんとに「徳」のあるひとは、そんなよぶんなこともせずに静かに黙って生活を愉しんでいるんだよとゆう。
 こうゆわれると、じゃあ「道」っていったい何なんだ?・・・とゆうことになると思うんですよね。で、後に「道経」があるとゆうふうになるのが自然だと当方は思うんですが、その道に詳しい方のご意見を伺いたいものです。


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by oikuri | 2015-01-25 17:33 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

あまりよくばらないで

2015/01/20(火) (旧暦)師走01日大寒

 一面の銀世界に太陽が輝き鹿が樹を食む八つの朝です。

 人間にそなわるとゆう性質で一番厄介なものがこれ「よく」ですかね。
 だから「よく」をなくせ!なあんてゆっても無くならないことはあまりにも明らかなので、そんなむりなことはゆわないからね「あまりよくばらないで」ほしいもんだと老子はゆう。そう「足るを知る」なあんてゆう表現も使っておりますですね。よのなかよくで満ち溢れているものですからね、なにをいまさらそんな寝惚けたことをとバカにされるのがおちのきょうこのごろなのではありますが、でもやっぱりみんなが「あまりよくばらないで」生きることがいまとても大事な時期にあるんだとおもうんですが、みなさまいかがおおもいになられますでしょうか?
 おかねは「いくらあってもよい」とゆうのがこうじると「自分のかねは自分のもの、他人のかねも自分のもの」にしたくなるのがこのよのなかの常。そうなるとよのなか「争い」ごとの絶えない今のよのなかのようになってしまい、このためにはひとが死のうが困ろうが知ったことではないとゆう生きかたが横行するはめになる。だから「よく」と「争い」は兄弟姉妹のようになかよしなんですね。
 争いをなくすには「よく」をなくす必要があるとしても、人間の「よく」をなくすことは出来ない相談となれば、老子のゆうように「あまりよくばらないで」生きようよとゆう提案は、とても現実的な提案かもしれませんですよ。とてもむつかしい提案ではありますが・・・

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by oikuri | 2015-01-20 10:45 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

争わない

2015/01/16(金) (旧暦)霜月26日

 きのうは湿った雪が10cmほど降り、一転今日は快晴で暖かな一日の八つでした。久しぶりにもみの湯につかってからだの方も芯からあたためてまいりましたです。ここに居る特典のひとつですね。

 中国の春秋戦国時代はゆうに及ばず現代までをみても、人類の歴史は、争いの歴史そのもの、つくずく人間て争うのが好きな動物のようにみえますが・・・ 2500年前の春秋戦国の世に生まれたとゆう老子は、争うことはもうやめようではないかと口酸っぱく何度も何度も呼びかけてこの世を去って行ったようです。でも、ほとんどの人たちは、そんな老子のことばに耳を傾けることなく、争いに明け暮れて今日に至っているとゆうわけです。
 もういいかげんに争うことをやめないと、人類そのものの存在が危ういとゆう時代に立ち至ってしまいましたね。人類がほんとうに生き延びたいのなら、老子の「争わないで生きよう」とゆう呼びかけに真摯に耳を傾けて、みんなの生き方を「争わない」方向に変えないとまずいですよ。21世紀は「争わない」時代にできるかどうかが、人類の生死の分かれ目になる厳しい現実に直面しているのですが。・・・ まずは、私のそしてあなたの心のなかから「争うこころ」をすこしずつでも無くしてゆくのが、その第一歩ですかね。

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by oikuri | 2015-01-16 23:18 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

自然をばかにしない

2015/01/14(水) (旧暦)霜月24日

 今日は暖かな好天に恵まれ、うららかな1日でした。
 しかし、明日から天気が崩れて雪が降る予報の八つです。

 寺田寅彦は「烏瓜の花と蛾」で次のようにゆう・・・
 「吾々が存在の光栄を有する二十世紀の前半は、事によると、
あらゆる時代のうちで人間が一番思い上がって吾々の主人で
あり父母であるところの天然というものを馬鹿にしているつもり
で、本当は最も多く天然に馬鹿にされている時代かもしれない
と思われる。
科学がほんの少しばかり成長して丁度生意気盛なまいきざか
りの年頃になっているものと思われる。天然の玄関をちらと覗
いただけで、もうことごとく天然を征服した気持になっているよ
うである。
科学者は落着いて自然を見もしないで長たらしい数式を並べ、
画家はろくに自然を見もしないで徒いたずらに汚らしい絵具を
塗り、思想家は周囲の人間すらよくも見ないで独りぎめのイデ
オロギーを展開し、そうして大衆は自分の皮膚の色も見ないで
これに雷同し、そうして横文字のお題目を唱えている。
しかしもう一歩科学が進めば事情はおそらく一変するであろう。
その時には吾々はもう少し謙遜けんそんな心持で自然と人間を
熟視し、そうして本気で真面目に落着いて自然と人間から物を
教わる気になるであろう。そうなれば現在の色々なイズムの名に
よって呼ばれる盲目なるファナチシズムの嵐は収まって本当に
科学的なユートピアの真如しんにょの月を眺める宵が来るかも
しれない。
 ソロモンの栄華も一輪の百合の花に及ばないという古い言葉が、
今の自分には以前とは少しばかりちがった意味に聞き取られるの
である。
(昭和七年十月『中央公論』)」

 ・・・そう八十年以上も前に寺田寅彦は
「吾々はもう少し謙遜けんそんな心持で自然と人間を熟視し、
そうして本気で真面目に落着いて自然と人間から物を教わる
気になるであろう。」とゆっておったのです。
 老子は、そうゆう生き方をはるか2500年前に、すでに
みなにすすめておったのですからね、頭が下がります。はい。


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               写真 好天のカラマツ林

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by oikuri | 2015-01-14 20:01 | 八つだより | Trackback | Comments(0)

老子と「道」

2015/01/12(月) (旧暦)霜月22日

 昨夕から落ち始めた雪が、約15cm位積もった八つの朝です。

 2500年前のことなのでその生死のほどもよくわからない中国の老子に
関しては、彼が残したとゆう八十一章のことばだけが今に伝わっている。
 当方は小中高と教育を受けたが「漢語」については結局なにもおそわら
なかった。だから漢詩もなにも読めないし、文法も知らない。そんならば
自分で勉強しろよとゆう声もきこえるが本来のなまけもので必要と感じ
なければ手をつけない性分はいまも治らない。
 あるとき、著作権切れの文章を無料で読めるとゆうサイトを知り覗いて
みるといろんな人の文章が掲載されていて、アイウエオ順に面白そうな
ものを物色していたら、寺田寅彦の「変わった話」にぶつかった。
 その表題がおもしろい「電車で老子に会った話」とゆうのだから・・・
 何気なく読むと漢語に関する導入から最後はドイツ語に至るはなしを
面白く読んだ。
 その後、原村の図書館で本を物色していたら「老子」新訳とゆう背表紙
の本が目に付いたので取り出して読むと、「はじめに」漢語の英訳のはな
しが述べられていて、結局、老子は漢語よりも英訳のほうがよく分かると
いふ。
 ふむふむ、それならば当方は日本語なら英語・独語・漢語よりも比較的
わかるから、と加島祥造氏の英訳から日本語にしたとゆう「老子」新訳を
めくっていったのです。

 読んでみて自分なりに老子の言いたいことをようやくしてみると・・・
 自然を馬鹿にせず、あまり欲ばらないで、ひとと争うことなく、この今を
愉しみながら用心深く生きていると、自ずから徳が備わった自由な生き方
になるのだから、みんながそうゆう生き方をすれば世の中は住みやすくな
るよ・・・
とゆう老子「道徳経」八十一章だとゆうことになる。
なんだ、あたりまえのことをゆってるだけじゃないか・・・と思われるでしょう
が、ところがさにあらず・・・その中身を知れば知るほど・・・どんでん返しの
ことばにおそわれて身が引きしまるとゆうことになるのです。でも、だからと
ゆって怖い話ではありませんね、やさしくやわらかでおだやかな語り口は終
始、老子のもちあじなんですから。興味が湧いた方は加島祥造氏の本をい
ちど手に取ってみたらいかがでしょうか。

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by oikuri | 2015-01-12 14:19 | 八つだより | Trackback | Comments(0)