ブログを再開しました。今までのおやすみをお詫び申しあげます。
by oikuri
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いれば

2015/05/16(土) (旧暦)弥生28日

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 いればとゆえば、当方はすでに総いればです。孫があそびにきてぎょっとするのも、当方がいればをはずしている現場に遭遇したときです。はをきちんとみがかないとこうなるぞ、とおどかすと効果覿面です。
 尺八も歯が抜けたりして口の形状が変わるとてきめん、音がでなくなります。ましてや総いればとなればゆうもあらず・・・悲惨なものです。今まで通りに竹を吹いていると、下のいればが浮き上がってきて口をふさぎ吹きつずけることもできなくなります。そんな時に、偶然WEBで「地無しを吹く極意」のサイトを覗いたのが幸運をよび、前川耕月氏の好意をえて今日なんとか総いればで竹を吹くことができております。なんともありがたいことと感謝しております。
 そんなこんなの毎日をすごしておりましたところ、このブログ oikuri へのコメントで「お能」に興味をもつこととなり、ついには能楽師でワキ方をされておられる安田登さんの「異界を旅する能(ワキという存在)」ちくま文庫をよむこととなりましたですよ。
 それもこれもみんな老子につながる縁であることが、いまふりかえるとわかりますね。

 そうそう安田登さんの話だったかと思うんですが、たしかお父様が交通事故で亡くなられたときに、いればが吹き飛んでどこにいったかわからないことがあり、後日安田登さんがふときづくとその行方知れずだったお父様のいればをひろいあげている自分を発見したとゆうことが書かれているのを読んだ記憶があります。警察の捜査でもわからなかったいればのありかを、いかにもみちびかれるようにその場に到達しいればをひろいあげるとゆう不思議な自分の経験と同時に事故当日に母親と妹におそった幻聴経験にも触れている文章でした。
 いまの時代、死後の世界について真剣にはなすときちがいあつかいされかねないので、きょくりょく避けようとおもうんですが、1772年3月29日に亡くなったスウェーデンボルグが同様の経験をしていて、彼の説明によると「一瞬ではあるが、死の世界に足を踏み入れていたひと」だから体験できたことだとゆうことになります。夢幻能は、死の世界に足をふみいれる一瞬を、ワキが導くとゆってもいいのかもしれませんですね。

------------ 以下はCMです。無視してくださいね。 ------------
by oikuri | 2015-05-16 12:38 | 八つだより | Trackback | Comments(1)
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Commented at 2015-05-16 16:19 x
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