ブログを再開しました。今までのおやすみをお詫び申しあげます。
by oikuri
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31


末法の世

2015/03/22(日) (旧暦)如月03日

 末法の世

d0116207_1958377.jpg


 人間の生活単位はやはり「家族」にあるだろうと思うが、「家族」をもたないひとやもてないひともいるから絶対的なものではない。ちち・ははがいてこどもがいてぢぢ・ばばがいる家族が望ましい構成かもしれないが、敗戦後の日本ではまず「ぢぢ・ばば」抜きのかく「家族」化が進行してゆき、いまそのかく「家族」もかげがうすくなって「家族」ほうかい時代の様相をしめしております。「家族」ほうかいの最大の被害者はやはりこどもです。いまこどもたちのおかれている状況は「末法の世」のような気がいたしますですよ。

d0116207_19593426.jpg


 老子は、家族持ちではなかったようなので、その言説には家族の影があまりありませんが、それでもいわゆる「老子」第一章で次のようにゆうのです


この名のない領域から
天と地が生まれ、
天と地のあいだから
数知れぬ名前が生まれた。
だから天と地は
名のあるものすべての
「母」なのだよ。


加島祥造「老子」新訳(地湧社)第一章11頁より抜粋
 そして、同書第五十二章126頁で


道(タオ)は万物を生む根源の力(エネルギー)と言ったが、
言いかえれば、道(タオ)は万物の母だ。
道(タオ)という母から生まれたわれらは
子なのだ。
そう知ることで、ひとは
道(タオ)の大きな優しさを知る・・・
子が母の優しさを知るようにね。
自然に
母の懐(ふところ)に帰ることで、
安らかな人生に向かう。

d0116207_19561627.jpg


 と、ゆうように老子は、ははとこどもの関係を使って「優しさ」や「やすらぎ」をたとえにしております。まあ、ははがかならずしも「優しい」とは限りませんが、それでもこどもはははを愛します。鶴見俊輔のようにははから生まれたときから「殴ったり」「蹴ったり」「柱に縛りつけたり」されてもこどもはははを愛するのです。
 それくらい、こどもにとっては、ははは必要な存在であり、その次に「家族」とゆう環境に深く影響を受けてそだつ存在なのです。でもいまはその「家族」も影がうすくなっている「末法の世」に知らぬ間にこどもたちは置かれ、どうしたらよいのか途方に暮れているのです。こどもたちに、今、ははのような優しさでおとなたちが接してあげないといけない「末法の世」であることを自覚し、おとながこころして接(行動)しないと、こどもたちがあまりにもかわいそうな世の中なのです。



 お茶(カノン)さん、すてきなコメをありがとうございます。 3/22 by oikuri
------------ 以下はCMです。無視してくださいね。 ------------
by oikuri | 2015-03-22 19:50 | 八つだより | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://oikuri.exblog.jp/tb/21650348
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 音楽 水のように >>