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by oikuri
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徳の道

2015/01/25(日)  (旧暦)師走06日

 好天の冬晴れに雪も溶けだす八つの午後です。

 老子はその昔、函谷関の役人に請われて通称「道徳経」とゆわれる文章を書き残したとゆう。今現在では「道経」が頭にきて38章から「徳経」とされていますが、古いお墓から出てきたものは、どうも「徳経」が先で「道経」が後の構成になっているとのこと。どっかの時点で後先がぎゃくになってしまったようなのですね。
 だいたい老子につまづいた人たちの言をきくとしょっぱなの「道は道と言ってもいわゆる道とはちがうんだ」なあんて突然でてくるでだしにつまずいてすっころんでたちあがれなくなったとゆう方が多いようなんですね。
 幸いとゆうか偶然とゆうか当方は漢語に疎いため、出だしにつまづくこともなく日本語で老子に接してきておりますが、それでもこの出だしは唐突な感じがしておりましたですよ。
 古いお墓から出てきたとゆう文章は「徳経」が先で「道経」が後の構成だとゆうので調べると、古い文章構成の方がやはり導入としては「入りやすく」できてるように思います。「徳経」の出だしの章は「真の徳とは」・・・ではじまります。
 
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 「徳」とゆうのは「良い行い」とか「善行」とかゆうんではなく、争うこころを鎮めよくを慎み自然を敬い心優しく生きるひとから「道」が自然に湧き上がってその人の表面に現れてくるくるものをゆうんで、ほんとに「道」の生き方をしている人に自ずから備わるものなんだから、備わっている本人はちっとも「徳」があるなんて意識しないで生活してるんだよとゆう。
 だから「道」の生き方をしていないひとたちが、道徳だ仁だ義だ礼だとうるさくふれ歩くのであって、ほんとに「徳」のあるひとは、そんなよぶんなこともせずに静かに黙って生活を愉しんでいるんだよとゆう。
 こうゆわれると、じゃあ「道」っていったい何なんだ?・・・とゆうことになると思うんですよね。で、後に「道経」があるとゆうふうになるのが自然だと当方は思うんですが、その道に詳しい方のご意見を伺いたいものです。


------------ 以下はCMです。無視してくださいね。 ------------
by oikuri | 2015-01-25 17:33 | 八つだより | Trackback | Comments(0)
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