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八ヶ岳山麓の阿弥陀岳の麓「美濃戸minoto」での日常生活
by oikuri
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自然をばかにしない

2015/01/14(水) (旧暦)霜月24日

 今日は暖かな好天に恵まれ、うららかな1日でした。
 しかし、明日から天気が崩れて雪が降る予報の八つです。

 寺田寅彦は「烏瓜の花と蛾」で次のようにゆう・・・
 「吾々が存在の光栄を有する二十世紀の前半は、事によると、
あらゆる時代のうちで人間が一番思い上がって吾々の主人で
あり父母であるところの天然というものを馬鹿にしているつもり
で、本当は最も多く天然に馬鹿にされている時代かもしれない
と思われる。
科学がほんの少しばかり成長して丁度生意気盛なまいきざか
りの年頃になっているものと思われる。天然の玄関をちらと覗
いただけで、もうことごとく天然を征服した気持になっているよ
うである。
科学者は落着いて自然を見もしないで長たらしい数式を並べ、
画家はろくに自然を見もしないで徒いたずらに汚らしい絵具を
塗り、思想家は周囲の人間すらよくも見ないで独りぎめのイデ
オロギーを展開し、そうして大衆は自分の皮膚の色も見ないで
これに雷同し、そうして横文字のお題目を唱えている。
しかしもう一歩科学が進めば事情はおそらく一変するであろう。
その時には吾々はもう少し謙遜けんそんな心持で自然と人間を
熟視し、そうして本気で真面目に落着いて自然と人間から物を
教わる気になるであろう。そうなれば現在の色々なイズムの名に
よって呼ばれる盲目なるファナチシズムの嵐は収まって本当に
科学的なユートピアの真如しんにょの月を眺める宵が来るかも
しれない。
 ソロモンの栄華も一輪の百合の花に及ばないという古い言葉が、
今の自分には以前とは少しばかりちがった意味に聞き取られるの
である。
(昭和七年十月『中央公論』)」

 ・・・そう八十年以上も前に寺田寅彦は
「吾々はもう少し謙遜けんそんな心持で自然と人間を熟視し、
そうして本気で真面目に落着いて自然と人間から物を教わる
気になるであろう。」とゆっておったのです。
 老子は、そうゆう生き方をはるか2500年前に、すでに
みなにすすめておったのですからね、頭が下がります。はい。


自然をばかにしない_d0116207_20265330.jpg

               写真 好天のカラマツ林

------------ 以下はCMです。無視してくださいね。 ------------
by oikuri | 2015-01-14 20:01 | 八つだより | Trackback | Comments(0)
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